第3回 シスター
列車は霧の中を飛ぶように走っていた。窓ガラスに
吹き寄せられた水滴が透明なすじになって、いつまで
も同じところで身をくねらせ続けている。
車窓に額をくっつけたまま、指で2枚のチケットを
こすり合わせた。帝都から鉄道ではるか南部の国境の
都市へ、王国に行くにはそこから飛行船に乗り換える
ことになる。券はどちらも1等旅客の指定だ。客車は
ほぼ満席だったが、僕の隣には誰も座らなかった。も
しかしたらミヒュトのやつがわざわざ空けたのかも知
れない。だとすれば、今度の仕事はやつにとってもよ
ほど割りが良いに違いない。
「王国へ行かれるんですか?」
鉄路の旅も半ばを過ぎた頃、突然声をかけられて僕
は顔を上げた。通路に1人のご婦人が立っていた。
3重のバックルでコートの胸元を留めたその女は、
30代の半ばくらいに見えた。わずかに肩にかかるほ
どの薄茶色の髪に、同じく茶色の瞳。よろしいですか
と膝を折って僕の隣の空席を指し、「あちらは煙草の
煙がひどくて」そう呟きながら、紫色の空気が漂う後
ろの方へと視線を泳がせる。
僕は黙ってうなずき、足元のバッグを窓側に引き寄
せた。女は礼を言い、隣の席に腰を下ろした。
彼女はしきりに話しかけてきた。僕は導力器関係の
仕事で王国に向かう途中だということにして、適当に
話を合わせた。彼女の方は教会の慈善運動とかで、国
境の都市に用事があるとのことだった。
「一応、シスターって呼ばれているんですよ」黒い革
のブーツに包まれた足を組みかえると、女は喉の奥で
笑い、「あだ名ですけどね」と続けた。「シスター・
カーネリア」それが彼女のあだ名だった。
そのまま僕とシスター・カーネリアはしばらく世間
話を続けた。陽は西に傾き始め、木立を抜けるたび、
オレンジ色の光が客席の上をなめていった。西日を浴
びて彼女の茶けた瞳は赤い耀きを放ち、僕は紅耀石に
通じるそのあだ名の由来を想像した。
やがて列車はゆるやかに速度を落とし始め、荷物を
取りに彼女は席へ戻った。僕はもう習慣になった動作
でバッグと魔法用の導力器を調べたが、反故紙の包み
も、編み鎖で腰に留めてある導力器も、どっちも無事
だった。
定刻通りの到着を告げる女性の声が車内に流れた。
到着地の天候は雨。座席の間からいくつかのため息が
もれた。ぼつぼつと窓に雨粒が弾け、青黒い町の影が
見る間に迫ってくる。駅の信号灯が、水滴に散乱して
角ばった光を放っていた。背筋の寒くなる金属音、そ
して導力機関の推力が反転する衝撃。
手荷物への注意を呼びかけるアナウンスが入って、
乗客がばらばらと通路に立つ。雨の中で手旗を振る駅
員の制服を見ながら、僕もバッグを抱えて立ち上がっ
た。
通路でシスター・カーネリアと行き合った。1歩引
こうとしたとき、突然彼女がつまずいたようにこちら
に倒れかかってきた。僕の肩につかまって体を起こす
と、彼女は照れ笑いを浮かべて道をゆずってくれた。
会釈をして先に通路へ出る僕。その後からカーネリア
がほとんど間を置かず、ぴったりとついてきた。嫌な
感じがした。右手が勝手に導力器を求めてポケットへ
滑り込む。だが、いつもの真鍮の手触りは、そこにな
かった。
とたんに、強烈な力が僕の手首をねじ上げた。バチ
ンと勢い良く金属の飛び出る音。僕の背中、ちょうど
腎臓のあたりに、尖ったものが押し付けられる。
「探し物なら預かってるわよ、トビー」
シスター・カーネリアの唇が、僕の耳の裏側でかす
かに動いた。
「動いたり騒いだりしないでね、トビー。
これ以上、痛い目に遭いたくないでしょう?」
シスターは手首を押さえる角度をわずかに変化させ
た。僕の瞳の奥で、色のない火花が散った。
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