連珠余話
5月22日に遊戯史学会の例会に参加して連珠の坂田吾朗八段の講演を聴いた。
連珠の歴史は古く、応神天皇(記紀伝承で第15代天皇、年代不詳、飛鳥以前)の即位式に「五子の技を競う」との記述が見られるほどで、囲碁よりはるか以前から「五ならべ」が遊ばれていたようだ、とのこと。
その後も庶民などは囲碁より五ならべを愛好していたが、碁盤を共用する関係もあり、古い絵図などに残されている碁石・碁盤を挟んで対峙する図はすべて囲碁の対戦図として処理されているのは残念であるとおっしゃってました。図を見ると明らかに連珠をやっている図もあるとのこと。(^_^)
「連珠」という言葉ができたのは明治32年、名称を一般公募した際に応募されたものの中からヒントを得て五ならべの正式名称として採用されたとのこと。
現在、連珠は日本では社団法人日本連珠社があり、国際的にはRIFという組織がスウェーデンのストックホルムにあるそうな。国際組織がなぜ日本ではなく北欧にあるのかといえば、かの地ではもともと連珠とほとんど同じゲーム「ルアチャック」があって、連珠は北欧固有のゲームであるとのこと。ルアチャックは16路盤で、交点ではなく中に石を置くものだが、交点に置けば15路盤の連珠とまったく同じになるのは面白い。
ところで、「碁」という字はもともと「棋」や「棊」とおなじく「き」または「ぎ」と発音したものだが、それがなぜ「碁」だけ「ご」と発音するようになったのかは、研究家によると「五ならべの石」という意味で使っていたのがアタマの「ご」がそのまま転用されたものだそうな。それから碁盤も「五ならべの盤」ということから「ごばん」と呼ぶようになったとか。。。
このへんの解釈はいろいろあるかもしれないけど、面白い講演でありました。
[追記]
なお、「碁」が「ご」と発音されたについて、ニフティサーブの囲碁フォーラムで話したところ、ぴんたんさんから以下のコメントをもらいました。
碁の呉音が「ご」だからではないか?
古い時代(飛鳥以前)に伝わった漢字の読みは呉音であることが多いので、碁もそれだけ早くに伝来したのだと思っていた。
たとえば、お経の読み方や、一二三四五六七八九などの基本語彙の読み方は漢音ではなく呉音であるし、碁と発音パーツが共通する「期」は普通「き」であるが、「最期」、「末期」のように仏教臭い熟語のときは「ご」である、とのこと。
うーむ。ますます謎は深まります。
(ホームページに掲載するについては坂田八段の許可を得ております)
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