投扇興はその雅やかな姿から平安貴族の遊びなどの誤解があるが、高橋氏によると江戸中期、安永の頃(1770年代)に町人の間で流行したのが最初らしい。安永二年(1773)に「投扇例」という書があり、著者(投扇散人其扇)がそれまでにもあった投壺(とうこ)を真似て創作したとあるが、これは怪しいとのこと。なお、投壺は壺に向かって矢を投げ入れる遊びである。
その後に投扇興が流行したのが文政五年(1822)頃で、武功年表によれば、辻々に投扇興の店があって賭をなしたため禁止されたとある。
その後何度も流行り廃りはあったようだが、明治になって廃れ、近年浅草その他で復活し、保存会などの活動が全国各地でなされている。
なお、投扇興にはさまざまな役と点数があり、「百人一首の形式」と「源氏物語の形式」、「その他の形式」の三派に現在別れている。
<以上、高橋氏の講演より抜粋>
展示されたのは、タイ(マックルック)、ミャンマー(シットウィン)、カンボジア(シャッロン)、ラオス(マックフク)、マレーシアとインドネシア(チャトル)、モンゴル(シャタル、ヒアーシャタル)、インド(シャトランジ、シャタランジャ)、スリランカ(チャトランジ)、中国(シャンチー、七国象棋、北宋象棋、川中島将棋)、琉球(チュンジー)、ベトナム(カートン)、韓国・北朝鮮(チャンギ)、日本(将棋)、中近東(シャトランジ)、アフリカ(シャトランジ、セヌテレジ)である。この他にチェスおよびチェスのバリエーションも多数出展されていた。
それにしてもよくこれだけ集めたと感心した。
<左上の投扇興以外の写真は浅見了氏提供>