江戸時代後半の黄表紙本、莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)に掲載されている絵。[草場純さん提供]

この絵が手本引きをやっているところなのかどうかは異論がある。
手本引きの絵と主張する人々は絵の中のばくち打ちの1人のせりふ「だいがぴんで、ひっきりがソレ六だ。よしか」をもって、チョボ一などの博打ではこのようなせりふは無い、手本引きでなければ少なくとも賽本引きであろうと主張する。しかし、だい(メイン)に厚く貼ってもひっきり(押さえ)が当たれば良しというせりふは他の博打でもあり得るし、現代の手本引き用語をこの時代に用いたからといって、即この絵が手本引きを遊んでいる絵とは言えない。しかも文中の「あきめへあきめへといでければ」とは賽子の目のことであろうから、少なくとも手本引きではないというのは私の主張である。
結局、江戸時代に手本引きがあったかどうか、可能性はあるが、まだなんともいえないという結論となる。

ちなみに絵の背景は、萬々という大金持ちが何とか散財する方法は無いものかと、わざと胴が不利な配当にして博打をしたという話である。

ばくちをうつと身が持てぬということを聞いて、これ究きょうと大ぜい鉄火打ちを集め、四割八分を七割くらいにして胴をとり、はらいかけけれども、因果と張りがかたっつりになって、あきめへあきめへといでければ、したたか胴へひいて、存じのほかもうける。
(萬々)「ちっとうけつこといって、だれぞ手を出さっせえ。気のきかねえ」
(ばくち打一)「だいがぴんで、ひっきりがソレ六だ。よしか」
(同じく二)「このばくちは一から六まで張れば損はねえが、そういう張りはみんなきらいだ」
(同じく三)「このようないめえましいよとうばくちはねえ。一番もうけねえ」
(萬々の妻)「旦那はどうだ。よさそうか。それではまたごきげんが悪かろう」