(詰碁の創り方) 第4回
塚本惠一 著 [詰碁世界第9号(2001年4月発行)掲載]


今回は「良い詰碁」について書かせていただきます。実は、私が詰碁に魅せられたのは詰碁の神様、前田陳爾先生の「活かすも殺すもこの一手」に出会ったからでした。
前田先生と橋本宇太郎先生のお二人が作品で示されたのが現代の詰碁の条件という感があります。前田先生は著書などに良い詰碁の条件をいくつか書かれています。「生かすも殺すもこの一手」には「名作の標準」として以下の言葉があります。

妙にごてごてしたむずかしい詰碁よりも、簡素にしてしかも清涼の気があふれるようなあざやかな筋で決まるものが上乗の詰碁かと考えた。

また「前田詰碁集」には「創作詰碁の条件」と題する一文があります。長文なので要点を抜粋して紹介します。

詰碁の魅力は、理論の煩わしさを抜きにした、スリル満点の死活を目標としたところにあると言えよう。
詰碁創作の第一条件は、何と言っても古作の模倣、焼き直しであってはならないことである。
第二の条件は、考えようによってはこの方が先決問題かもしれないが、筋が目新しく且つ優秀でなければならないことである。
第三の条件はスタイルの問題である。

第一の条件は、江戸時代から多くの詰碁書が古作を引用してきたことに対する見解と想像されます。現代なら「盗作」と非難されるものです。しかし、現実には、前田先生の詰碁集には新作とは言い難いものも結構あります。村上明氏の「詰碁の神様」には次のように書かれています。「詰碁の筋には限りがあり、そうそう新しい筋の詰碁ができるわけのものではない。だから多くの作品の中には、模倣に類するものがあるのも致し方なく、この点は現実問題として前田先生も認めておられること」と。
私も数百の詰碁を作図してきましたが、冷静に見て「新作」と自信を持てるのは50題くらいのものです。「新手筋」となると片手もなさそうです。詰碁の創作を試みられる場合は、あまり新規性にこだわらない方が良いと思います。発表する場合は話が別ですが。
第二の条件である「筋が優秀」ということは詰碁の必須条件でしょう。そうでなければ、ただの死活問題で、パズルとしての値打ちがありません。「あざやか」と言われる筋は一つの優秀な筋ですが、前田先生の流儀である「皮肉」な筋もやはり優秀な筋と言えるでしょう。詰碁の本質は「意外性」にある、というのが前田先生の言わんとするところではなかったかと考えます。
第三の条件のスタイルについては、「創作詰碁の条件」から引用します。

スタイルの悪い詰碁とは、詰碁に関係のない石がズラズラ並んだ形、必要以上にダメの空いた形、必要以上に石のダブっているものなどで見た眼にもこれは快い感じを与えるものではない。生きは二眼、攻め合いは一手勝ちを理想とするように石に無駄のない、引き締まったスタイルが、詰碁における一つの条件と言えなくはないだろうか。

さらに言えば、石の配置が占める面積が小さい方が良いスタイルと言えます。狭い所に変化が多いのが好ましい詰碁と考えているわけです。なお、詰碁は部分的に死活を争うものなので、脱出の味悪は好まれません。そういう脱出の味悪を防ぐ配置は無駄とは言われません。

今回は前田先生の言葉を中心に書いてきました。前田先生の代表作2題を紹介しておきたいと思います。

1図 黒先
2図 生き
黒1のハネから黒3のキリがあざやかな手筋です。白4に黒5で白4の左につぐ手がなくなっています。
黒1で4の左ホウリコミ、白4の所トリ、黒5の所では、白4の左ツギ、黒1の所トリ、白4の左オキが成立します。正解手順との差を確かめてください。
白2で3の所は、黒4の左ホウリコミ、白4の所トリ、黒5の所でオシツブシです。

3図 黒先
4図 生き
黒1から黒3の捨て石が妙手で、黒5が先手になります。白に抵抗の余地がないところを味わってください。

こういう名作の鑑賞が良い詰碁の創作の糧になります。玄玄碁經と碁経衆妙の二書は詰碁愛好家には必読と言えるでしょう。


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